2017年2月3日金曜日

中坊進二と京都、神護寺についての色々

季節によって違う美しさを見せる庭や景色を含め、京都の魅力は尽きないものです。日本の美術を専攻していた中坊進二はいろいろな展覧を見学するために市内の美術館、博物館、社寺を訪ねました。神護寺は空海が密教の儀式である潅頂を行った寺院です。ここでは毎年5月に宝物の虫干しを兼ねた展覧があります。そこを訪ねた中坊進二には、新緑におおわれた山々の曲がりくねった道を登った先にある、京都の街の喧騒も遠く、川の音と木々の葉のみずみずしい色に囲まれた別世界でした。ここは空海の呼吸が聞こえてくるような自然の中にある空海に縁の深い寺院です。京都には空海ゆかりの寺院も多く東寺は密教の根本道場として今でも空海の請来した曼荼羅を始めたくさんのゆかりの品が所蔵されています。平安京の時代から伝わるその品々とともにその土地が伝えてきた空気はその歴史観、人生観に反映されていまだここには息づいていると思うことが多々あります。しかし中坊進二にとっての神護寺は平安京をかたちづくった人々の息吹を空海という大きな人物、宗教家をとおして感じる場所です。現在の京都が東京、大阪、博多など魅力的な都市がたくさんある中で、そのどの場所とも違う独自のカラーを持ち、存在感をますます大きくしているのはなぜか。それを考えた時、やはり平安京からの歴史を振り返らざるを得ない底の深さを有していることに気づかされるのです。現在の京都は表面的には社寺や街の歴史を提示しているだけに見えますが、目に見えるものの裏にある目に見えないものに目を凝らしてみるのも、視点を変えた見方で楽しめます。

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