2017年5月8日月曜日

外国人観光客からも大人気!京都・伏見稲荷大社の歴史

"外国人観光客からも大人気の京都のスポットで中坊進二がお勧めなのが、伏見稲荷大社です。「中坊進二も修学旅行で行ったことがある」、「中坊進二は京都旅行で行った」など御存知の方も多いかもしれませんが、この神社の歴史はどのようになっているのでしょうか。 この神社は全国の稲荷社の総本山で、伝説によると和銅4年(711年)2月初午の日、稲荷山三ケ峯に稲荷神が鎮座したのに始まるとされています。稲荷はその字からも分かるように、元々、作物の実りを司る農耕神でしたが、江戸時代中期に商業が発達してくると、商売繁盛の神にもなりました。 「稲荷」の社名の由来は、奏伊呂巨(はたのいろぐ)が餅で的を作って矢を射ると、餅が白い鳥となって飛び去り、舞い降りた峰に稲が実ったことからついたという話が「山城国風土記」逸文に書かれています。このように、稲荷神は五穀豊穣の神、商売繁盛の神として信仰されてきましたが、現在では、家内安全、諸願成就の神様としても信仰されています。 なぜ、このように様々な願いを叶えてくれる神様になったのでしょうか。これには「弘法大師空海」が関係しており、827年、弘法大師空海が直々に伏見稲荷大社に赴き、稲荷神を国家鎮護のお寺の東寺の鎮守神になっていただけるようにお願いしたと言われています。これにより、歴代の天皇が行幸され、民間にも稲荷信仰が普及して行きました。 また昔話で、伏見の稲荷と北野の天神さんの仲が良くないため「天神さんを参った同じ日にお稲荷さんに参ってはいけない」という話もあります。これは、菅原道真の霊が雷となって御所を襲った際、御所の守護当番だったのがお稲荷さんで、両者がその際、激しく戦ったため菅原道真が神様になった後も仲が悪いということから「天神さんを参った同じ日にお稲荷さんを参ってはいけない」と言われるようになったとされています。 中坊進二が初めて京都旅行でこの神社に行った際はこの歴史について知りませんでしたが、これから伏見稲荷大社に行かれるなら、歴史について知った上で訪れてみてはいかがでしょうか。 "

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